主体性がなくても良い縁に恵まれてカンボジア舞踊にたどり着いた話
投稿者:kiri (50代)

〈2005年9月 ゆめ観音アジアフェスティバル チューン・ポー〉
〜事の始まり〜何か習い事を始めよう
就職後しばらくして精神的に余裕が出来た頃、プライベートも充実させたいと考えた。元々身体を動かすことが好きで踊りに興味があったため、また「自分の変化(成長)を感じることが出来るもの」という理由からダンス系の習い事を探ことにした。その際の「怠け者を動かす」ための3つの方法を考えた。
①レッスン頻度が週に1回
運動の習慣がなかったので、週に1度くらいは健康的に身体を動かしたい。ただし自発的には無理なので、強制的に。
②気軽に始められて、気楽に辞められる
「街なかの個人教室は色々しがらみがありそうなので、それよりハードルが低い」という理由でカルチャーセンター一択とした。
③仕事帰りに通える
無精者なので、習い事のために出かけるのは避けたい。そのため職場の近くのカルチャーセンターの講座を検討した。
この条件で残った講座のうちのひとつが、タイ舞踊講座だった。タイ舞踊のことは何も知らなかったが、用意するのは「長さ3mの赤い布(ジョンガベン)のみ」というのが他の講座よりコスパ的に好ましかったので、迷わず受講を決めた。
※ジョンガベン:練習する時に使用する一枚の布。結んだり巻いたりしてズボンのように着用する。カンボジアでは、この布をクバンと呼ぶ。結ぶという動詞チョムを加えて、「チョムクバン(=クバンを結ぶ)」という形で使われる。
〜徐々にのめり込む〜もっと上手になりたい!
カルチャー生として出演した何回目かの発表会の後、カルチャー生の友人が本部のタイ舞踊スタジオに習いに行くと聞き、一緒に通い始めたことで最初の沼にはまる。スタジオのレッスンは週2回だったがカルチャーセンターも引き続き受講したので、この時期のレッスンは週に3回。
〜立つ鳥跡を濁さず〜カンボジア舞踊に転向
カンボジア古典舞踊へのきっかけを作ってくれたのはスタジオ生の友人だった。
彼女のおかげで山中先生に接触成功。「より魅力を感じるカンボジア古典舞踊を習いたい」とスタジオ校長に自分の気持ちを正直に伝えたところ、理解していただけたので円満退会し、友人と共にカンボジア舞踊の世界へ。
〜カンボジア舞踊沼にはまる〜ロバム・クマエへようこそ
ゆったりとした動きが特徴のカンボジア古典舞踊は、「四角いのに丸い」というのが個人的なイメージ。粘度が高いジェルの中で踊っているような優雅さが、たまらなく好き。
生徒の一人が企画してくれた舞踊修行旅行で、初カンボジア・初アンコールワットを経験できた。

〈2006年4月 中部国際空港セントレアでのイベント 楽屋にて〉
〜ブランクの後〜様々な変化
その後、出産と育児による長い休みを経てレッスンに復帰したが、心も身体も変化する。休む前と変わらずカンボジア舞踊は好きなことではあるけれど、残念ながら優先順位は変わってしまった。娘たちとの発表会を何度も楽しんでいくうちに、次第にレッスンはリフレッシュ方法の一つになり、舞台で踊ることは目的ではなくなっていく。

〈2017年5月 SAKARAK発表会 創作舞踊「かもめの水兵さん」〉
〜縁は異なもの〜たどり着いたところ
半生を振り返ってみたが、主体性のない行動ばかりで恥ずかしい限り。カンボジア舞踊を教わりたいと自力で山中先生にたどり着いた生徒の皆さんには、頭が下がる。
それにしても、ただ流されて来ただけなのに なんて良い縁に恵まれたのだろうと驚く。消去法で選んだタイ舞踊、カルチャーセンターで出会った友人に便乗してスタジオへ、スタジオで出会った友人に誘われてカンボジア舞踊へ。何かに導かれていたとしか思えない。

〈2008年11月 カンボジア舞踊公演「天上の散華」 基本練習曲〉
〜私がカンボジア古典舞踊のレッスンを続ける理由〜変化を楽しむ
娘たちはそれぞれに自分のやりたいことを見つけたため、今は一人で身軽にレッスンに通っている。
これまで何度も耳にしていた先生の言葉の「本当の意味」がやっと理解出来たり、身体を思うように動かせたり、レッスンの度に喜びがある。
当初ジョンガベンだった「3mの赤い布」は、呼び名こそ「クバン」と変わったが、今でもそれをお供にレッスンに行く。自分にとって「カンボジア古典舞踊を習うこと」は、カッコ良い言葉で言うと「自己鍛練」。そういうスタンスで、今の自分を作った全ての人やものへの感謝の気持ちを持ちつつ、これからもカンボジア舞踊と関わりたいと思っている。
毎回の ソンペア・クルーで 願うのは
世界平和と 皆の健康
〈了〉