カンボジア古典舞踊は、アンコール王朝の古代に始まり、他国に脅かされ、幾度となく存亡の危機に瀕しながら、いつの時代も王室の保護を受け、宮廷舞踊として伝えられてきました。

1970年代には内戦により伝承者の9割近くが失われましたが、生還した舞踊関係者たちが、民族の誇りをかけて復興に取り組み、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されています。

1997年、まだ衣食住もやっとだった頃、舞踊学校の先生は、誇らかに語っていました。

「踊りには、3つの種類がある。一つ目は、非常に原始的なもの。例えば、古代、収穫を祝うために踊られていたもの。二つ目は、近代西洋のもの。それは、人間の身体能力の極限に挑みながら『美』とは何かを追求するもの。そして、三つ目は精神的なもの。カンボジアの踊りは、そこに属する。」

この言葉を思う時、カンボジアの人々はあえて、このような芸能の在り方、人生や社会の在り方を自ら選んできたのだと、私達は思っています。

それは、西洋中心史観からいえば、単なる発展途上国における、アニミズムの影響を色濃く残した一民族舞踊なのかもしれません。しかし、私達は、「カンボジア古典舞踊は、カンボジアの人々が選びとってきた、高度な芸術発展の究極の姿」だと思うのです。その舞踊は、ヒンドゥー教や仏教といった宗教の枠には収まりきれない、人間や社会が抱える様々な問いを、共同体による儀式という形で表現した「祈り」であり、即ち、「五感を伴う生身の身体をとおして、瞑想的な時空間を共有し継承すること」なのだと考えます。そして、踊りだけではなく、様々なカンボジア文化の根底には、「人間を丸ごと包括する祈り」、「五感を刺激する世俗性と、瞑想的な神聖性が微妙に混じり合う美意識」が感じられるのです。

人間は、自尊心と希望なしには生きられません。芸術は非実用的なものではありますが、「闇夜を照らす光のように、人間の品性にとって、意味がある」のだと思います。

近代化の過程で西洋を偏重してきた日本では、カンボジア古典舞踊の社会的認知度は未だ低いものです。カンボジア古典舞踊の素晴らしさが日本でもっと認められることが、私達日本人にとっても、アジア民族の精神的な豊かさを再認識できるよい機会になることを願っています。

日本カンボジア舞踊協会 理事

山中 ひとみ