一女とのご縁

ある日、カンボジア舞踊をしている私は、カンボジアのNPOのニュースレターを読んでいた。「宮城県第一女子高校の同窓会で活動説明」とある。「あら、主宰者のNさんと私は同窓生だ」と思ったのが、卒業後、縁がなかった一女と私の復縁の始まりだった。

数年後の昨年3月、30年ぶりに一女を尋ねる機会を得た。仙台や母校を訪ねることが今迄私にとって敷居が高かった理由は、当時摂食障害であったことが大きい。奥手だった私は、自分の思いと現実の折り合いを付け、「これが私」といえる自分を確立するのに大変な時間がかかった。ただ無意識の闇の中で、苦しんだ思いばかりが強い高校時代には、なかなか、正面から向き合えなかった。

久しぶりの母校は共学になり、名前も変わっていた。記憶では緑に囲まれていた校庭は、意外と殺風景に思えた。自転車通学をしながら、どうしても学校に足が向かず、時々行った河原だけが思い出と同じだった。帰京直後、東日本大震災が起こった。つい一週間前に再訪を果した仙台や公演先の岩手の惨状に、大きなショックを受けた。

今年1月、同窓会の新年会で踊らせて頂いた。出演後、記憶の底に埋もれていた校歌を歌いながら、私は涙が止まらなかった。亡き親との確執を経て舞踊の道を歩んできた私だが、芸術で自活するとは大変な事だと、身を以て学んだ30年間だった。健康と亡き親のお蔭で踊り続けていられる私は、それらに感謝しつつ、まだ幼い頃抱いた「夢」への挫折感が消えない。そんな私に「あの頃、私も大変だった」と声をかけてくれた同級生がいた。嬉しかった。

誰もがその人なりの夢と喜び、挫折や苦しみを経て、今の自分に成ったのに違いない。私も自分の選んだ道をしっかりと生きていこうと、気持ちを新たにした夜であった。節目の機会を作って下さった同窓会の皆様に感謝しつつ。