「アンコール・ワットと江戸の彼方に」公演ご挨拶 (2013年12月)

今回、「カンボジアと日本おける女性像」という切り口で公演をさせて頂き、有難うございました。
そのテーマを選んだ背景について、少しお話しせて頂きます。

まず、文化の価値観の問題です。私は幼少時に、日舞を習わせてもらいました。

高度経済成長の私の子ども時代「大きいこと、積極的なことがいいこと」という西洋的な世の中の風潮の中、明治時代の祖父をお手本とする家庭で育った私の中には、いつも西洋と日本文化の価値観の葛藤がありました。またTVの中のヒッピー風の若者たちに、新鮮さを感じた時代でもありました。
日本、西洋、カンボジア どの文化に対しても好きな部分と受け入れにくい部分があり、今でも私は、アイデンティティーと自分の価値観を作り直しています。

次に、日本の伝統的な女性像を改めて見直したかったことがあります。

かつて「実人生では色んなことがあるのだから、せめて芸の中では気持ちの良い世界に包まれたい」と奉納舞踊にひかれた私ですが、今では「辛い恋も嫉妬心も、みんな“生”の彩りなのかな」と思えるようになりました。また“女性”というジェンダーについて考える機会もあり、理想的な日本の良妻賢母であった亡き母に対し、肯定的な評価をあげたく思いました。

最後た、カンボジアでも日本でも、グローバリゼーションの波によって古典芸能が人々から遠い存在になってゆく距離を縮めたい、という想いがありました。

時代が変わっても敵視的な積み重ねがあるからこそ、私たちは小さな自己犠牲にとらわれず、自らを豊かな存在感じるのだと思います。古来からどんな社会でもしっかりと自分らしく生きてきた女性がいたのだと、現代の皆様に感じて頂けたら幸いです。

芸術という無駄なものの持つ意味は、漠然とした大きな縦と横の繋がりを私たちに感じさせ、生きる力を与えてくれる点だと思います。

——社会人としては欠点の多い私ですが、ずっと芸術を愛し続けてこられたことこそ、私の一番大きな恵みでありアイデンティティーなのだと、今改めて思います。

たくさんの方に支えられてきたこと、今日まで踊りを続ける恵みを天に与えられこと、私が芸の道に進むことを喜ばず永久の別れをした亡き父母に、幼い頃踊りをならわせてもらったこと、を感謝します。皆さま、本当にありがとうございました。